ミュンヘンで有名な観光名所として真っ先に名が挙がる、Hofbräuhaus(ホフブロイハウス)。
実はこのHOFBRÄU、あまり知られていませんが州立です。(公営ともいう)
ビールの国ドイツには、州が運営している公の醸造所が存在するのです。
醸造所の管理、運営を行っているのは、バイエルン州財務省(Bayerisches Staatsministerium der Finanzen und für Heimat)。
生粋の”お役所ビール”ということです。笑
もちろん6大ミュンヘンビールの一つとしてオクトーバーフェストにもビールを提供していて、HOFBRÄUのテントの一つであるHOFBRÄU-FESTZELTは約1万人を収容でき、オクトーバーフェストで最大級の大きさです。
日本でも時々販売されているところを見かけ、その知名度の高さからミュンヘン=ホフブロイのイメージもある程度定着していると感じます。
それではHOFBRÄUを紹介していきます!
HOFBRÄUの基本情報
ヘレス
ミュンヒナービールの定番といえばこれです。
HOFBRÄUはオリジナルの”HOFBRÄUヘレス”と、上の画像にもあるように”HOFBRÄUHAUSヘレス”の2種類のヘレスがあります。
味の違いは正直わかりませんでしたが、醸造所の違いで2つのタイプのビールを出しているのは6大ミュンヘンビールではHOFBRÄUだけだと思います。
(若干HOFBRÄU オリジナルのほうがコクがあるようなないような…)
HOFBRÄUHAUSブランドのヘレスが登場したのは2017年。わりと最近です。
ビール純粋令500周年を記念に発売されました。
日本でもキリンが一番搾りブランドで日本全国各工場ごとのビールを出していたと思います。そんな感じです。
デザインはHOFBRÄUHAUSモデルのほうがクラシカルです。ビール純粋令500周年ということを意識しているのでしょう。
白ビール
HOFBRÄUの歴史といえばこれ。白ビールです。(下にあるHOFBRÄUの歴史も見てみてね!)
とはいっても現地では他の白ビールが圧倒的にシェアを握っている感は否めないのですが…
HOFBRÄUの白ビールにも、Naturtüb(無濾過)のものと、 Kristall Weiße(濾過)の2種類があります。
無濾過はもちろん酵母が入っているので、白ビール独特の小麦の味を存分に楽しむことができます。
濾過されている白ビールはより軽やかに、白ビールが持つ果物のようなフルーティーさを存分に味わうことができます。
好みと気分で選ぶことをおすすめします。
アルコールフリー
最近流行りのアルコールフリーです。
以上!笑
…とはいいましたが軽く説明。
HOFBRÄUは白ビールとヘレスのアルコールフリービールを製造しています。
健康志向の高まりからのアルコール離れなどなど、市場ニーズにあったものを提供していかないと他社にユーザー持っていかれちゃいますからね笑
それでも実際、アルコールフリービールの需要は年々増加傾向です。きっと近いうちに、他社も出しているようなアルコールフリーのミックスビールとかも出てくるのではないでしょうか。
季節もの
オクトーバーフェストビールや春先限定で出荷されるボック(Bockbier)などもHOFBRÄUは生産しています。
HOFBRÄU Oktoberfestbierについてはこちら!
ちなみにボックビール(Bockbier)、HOFBRÄUはマイボック(Maibock)という名前をつけていますが、これはミュンヘンで最も古いボックです。(下で紹介する歴史を参考にしてみてください!)
HOFBRÄUの歴史を軽く振り返る
1516年、バイエルン公ヴィルヘルム(Wilhelm)4世によってビール純粋令が制定。
この頃、バイエルン地域でもより盛んにビールが造られるようになってきましたが、公爵家御用達のビールはバイエルンのはるか北方、現在のニーダーザクセン州アインベック(Einbeck)から輸入されていました。
当時ビール自体が高級嗜好品であり、それを輸入することは非常に高価かつ不効率でした。
そこで、ヴィルヘルム4世の孫にあたるヴィルヘルム5世が1589年9月27日、”Aigen Preuhaus”という名の醸造所を設立します。
ヴィルヘルム5世の息子であり、醸造所の後継者でもあるマキシミリアン(Maximilian)1世は経営手腕に長けており、ミュンヘンにおける白ビールの流行を逃しませんでした。
1602年までには白ビール製造及び販路をほぼ独占し、その後も白ビールの人気は右肩上がり。ついには製造量を増やすために新たな醸造所をミュンヘンの中心部に建設します。
これが現在のHofbräuhaus(ホフブロイハウス)です。
1614年、当時公爵家がビールを購入し輸入していたアインベックから醸造家、Elias Pichlerを醸造所に招きいれます。
彼はここで”Maibock”(マイボックビール)を開発。
ミュンヘンで最も古いボックビール(=Starkbierの一種)は、当時公爵御用達ビールであった、アインベックの伝統を引き継いでいます。
1806年、バイエルン王国誕生。
これとともに、公爵家所有(Herzoglich)であったHOFBRÄUは、王立(Königlich)HOFBRÄUとなります。
ここで明日使えるトリビアを一つ。
1823年、王国劇場が炎に包まれた際、最寄りにあったHOFBRÄUから消火のためにビール樽が徴収され、消火に使用されます。
なぜビールが消火に?となりますが、火災が起きたのは1月の真冬。消火用水も完全に凍りついていて消火活動ができなかったため、当時のバイエルン王、マキシミリアン(Maximilian I Joseph)1世は 最寄りの醸造所のビールを使って消火しようと試みたのでした。
劇場自体は消失してしまいましたが、炎が周りに燃え広がることは防ぐことができたようです。
ビールで火消しなんてもったいない!と思いましたが、消火用の水が無かったなら仕方ないですね。
しかし消火にビールを使うなんて、さすがはビールの街ミュンヘンです。
1894年、最新の製造機械を揃えた新醸造施設をミュンヘン市の東側、Innere Wiener straßeに設立します。現在はHofbräukellerとして巨大なビアホールがあります。
1896年、Hofbräuhausは日々増加する観光客に対応するため、レストランへの改修工事が行われます。一年後の1897年9月、Hofbräuhausは現在でもそうであるように1階部分がビアホールとなり、生まれ変わります。
しかしその後、混迷の時代へ突入。
1919年4月13日、Hofbräuhausで労働評議会と軍評議会が共同で、共産主義国家であるバイエルン・レーテ共和国(Kommunistische Räterepublik)の設立を宣言します。
1920年には、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、通称ナチ党)の党大会がHofbräuhausにて開催されます。
そして戦争が目の前に迫る1939年、王立ホフブロイハウス(Das königliche Hofbräuhaus)は国営(Staatlich)に改められます。
1944年、Hofbräuhausは連合軍の空襲によって破壊されます。
世界的にも名を馳せているHofbräuhaus、歴史的に敵国の首脳が愛用していたこともあって、きっとターゲットになっていたのでしょう…
しかしながら戦後、復興はすぐに行われ1949年にはオクトーバーフェストも再開。1952年までにHOFBRÄUも自前のテントを出店させるまでに回復します。
1958年、ミュンヘン市制定800周年を記念に、Hofbräuhausも新たに改装され、宴会場を設けました。
その後1988年、HOFBRÄUの生産拠点はミュンヘン郊外のリーム(Riem)への新醸造施設建設を期に移設。現在はこの生産施設で年間2500万リットルのビールを生産することが可能となっています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
歴史的には白ビールが成長の源流であったということには驚きです。
こだわりやスタンダードにとらわれず、市場ニーズを読むということは当時から重要だったのだと気付かされました。笑
HOFBRÄUのヘレスは日本へも輸出されていて、比較的手に入れやすいミュンヘンビールの一つだと思います。
歴史ある”お役所ビール”、ぜひ一度ご賞味ください!
それでは最後までお読みいただきありがとうございました!
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