当時の私はなぜ、数ある国の中からドイツに行こうと決めたのか。そしてなぜ、ドイツで今も暮らしているのか…
※この記事は連載記事 ”なぜドイツだと思ったのか。そして今、なぜドイツにいるのか。” の第2章です。最初から読みたい方は是非こちらから!
こんにちは。なっしゅです。
タイトルには”なぜドイツだと思ったのか。そして今、なぜドイツにいるのか。”とつけているくせに、今回の記事は私が”ドイツ語”にたどり着くまでの紆余曲折を書いています。少しタイトルと内容が一致していないかもしれませんが、そこはご愛嬌ということで…
Foreign languageに取り憑かれる
前述の通り、英語学習が趣味となってから英語のレベルは飛躍的に向上し、授業は段々と退屈に。
その頃から、「他の言語も勉強してみたい」と感じはじめました。
そこで、当時の英語の先生が、学生時代にフランス語専攻であったことから、フランス語の勧めをうけてどんなものなのか見てみることにしました。
私にとって初めて、”第二言語”に出会った瞬間です。
英語と同じアルファベット。
文法も似ている。
しかしながら全てが異なる新たな外国語を目の前にし、モチベーションも高まる…
はずでしたが、早速問題が発生しました。
そうです。あいつです。アクサン記号という奴らです。
AとかEとかの上に右向き、左向きに点のようについているあれです。
さらには”C”の下から生えている奇妙な記号…
フランス語で”フランス語”は ”Français”というのですが、この “ç” とかそういう特殊な記号に慣れることができませんでした。
(とはいってもドイツ語にもÄ、Ö、Ü、ßという変音記号があるのですが…)
そしてなんといってもフランス語の発音にどうしても慣れることができず、途中で学習を諦めます。笑
書いてあるのに発音しない単語ってなんだよ。
例えば、Bordeaux “ボルドー”。
後ろの方の -eaux むだに長い。(フランス語話者の方、学習者の方、ごめんなさい。)
とかとか色々考えた挙げ句、とりあえず英語ができればいいや。という逃げに走りました。
それでも依然として外国語に取り憑かれていた私は、次なる外国語を選びました。
それが、
- Русский язык
- Deutsch
この2つです。
そうです。ロシア語(Русский язык)とドイツ語(Deutsch)です。
なぜロシア語を選んだのか。理由は簡単。
単純にあのアルファベット(キリル文字)がかっこよかったのと、普通のアルファベットとは違うものが読めたらすげーなというよくわからない理由から勉強をしました。
(TдT)みたいな顔文字、ありますよね。この口の部分の変なやつ、ロシア語の”D”ですが、こんなようなやつに妙に惹かれました。(*´Д`)
そしてドイツ語は、前の記事にもあるように、環境学習での調べ物がきっかけです。これも単純に、「読めたらすげーな!」というものすごく単純な考えです。
ロシア語、ドイツ語の勉強を始める
はじめはロシア語を主に勉強していました。
とにかく全てが新しい言語に触れていることが面白くて、アルファベットをすべて覚えたときにはものすごい達成感を感じました。
当時使っていた教材は専ら、NHKのラジオ講座である、「まいにちロシア語」。
ラジオ番組を一生懸命録音して聴いていました。
並行してドイツ語も学習してきました。
ドイツ語はアルファベットが英語と同じため、すぐに文法や単語の学習へ進むことができ、ロシア語よりは学習のペースが早かったと記憶しています。
ドイツ語学習で使用していた教材はというと、
「まいにちドイツ語」
はい。またまた登場です。NHKのあれです。
ではなぜNHKのラジオ講座の教材ばかり使っていたのか?
理由は簡単です。中学生はお金がありません。バイトも不可です。
そうです。安いのです。一冊400円もしないくらいだったと思います。
NHKさん、お世話になりました。
そのときの英語学習は?
ロシア語、ドイツ語を勉強しているときも、英語はもちろん勉強し続けました。
勉強といえども、外国語が好きだったので、”勉強していた”という気持ちは一切持っていません。好きでやっていました。語学学習だけを好き好んでやっているただの陰キャラ。
好きなものを続けることほど、楽しく効率的のものはありません。
その頃の英語学習はもう学校の教科書で文法を学んだりするレベルではなかったので、ひたすら表現や語彙の知識を深めるべく、本格的な辞書を入手してレベルアップに励んでいました。
当時どこで読んだのか、はてまた聞いたのか忘れましたが、ときの総理大臣、田中角栄は英語を学習するために辞書を使い、”学習し終えた単語のページを破って食べていた。”
というようなことを聞いて衝撃を覚えたのと同時に、辞書を使えばボキャブラリーが増えると思っていました。
そんなこんなで英語の授業はもはや座っているだけ状態の域に達していました。
もちろん、このレベルまで達することができたのは、自分自身の努力だけではありません。
英語学習の楽しみ、将来性、そして何よりきっかけを教えてくれたあの英語教室があったからです。
そしてその他の科目も無事に平均的な成績(数学は依然として平均以下)を収め、私は高校へと進学しました。
To be continued…
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