
当時の私はなぜ、数ある国の中からドイツに行こうと決めたのか。そしてなぜ、ドイツで今も暮らしているのか…

こんにちは。なっしゅです。
中学生の時から外国語が好きで独学を続けてきた私も、ついに高校進学の時を迎えます。
ここから一気にライフプランがドイツへ…
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やっぱり英語だった高校入学当初

外国語を人よりかは少し多く勉強していた私は、外国語教育に力を入れている高校を選択しました。
とはいっても、なんの変哲もない、普通の県立高校です。
それでも受験形式は当時としては特色がありました。
それは、英語での面接が入試。
今でこそ当たり前のように増えてきている選抜方法かもしれませんが、10年ほど前、公立高校ではあまり見られなかったと思います。
入学後はひたすら英語でした。
ドイツ語は少しやっていたんですけれど、やはり英語を鍛えたほうが周りと差がつけられるというか、進学にも有利だと思い、専ら英語漬けの日々でした。
さらに英語に魅了された理由があります。
高校1年生の春休みに、アメリカの姉妹校へ行く短期交換プログラムに参加したときのことです。
行き先は東海岸、ワシントンDCとメリーランド州。
私にとって初めての海外であり、なんと言ってもその雰囲気に圧倒されました。
当然言葉は英語。
自分が趣味のようにやっていた好きなものに囲まれていることほど良いことはありません。
もう将来の進路は絶対アメリカだ!
そう決めた意思はすぐ半年後に変わるのでした…
ドイツ語、再スタート

アメリカでの滞在はほんの一週間程度のものでしたが、その経験は自分の内なる将来像を完璧なほどまでに造り出していました。
とにかく英語をやろう。未だ単純な考えしか持っていない高校生の私は英語を生きがいのようにしていました。
(このときの英語レベル、地理の授業ノート、英語で取ってたレベル。(TOEICとか当時あまり知らなかった。)しかもこのノート提出したら、評価はA。果たしてホントに読んで評価したのかは今でも謎。)
さて、転機が訪れます。

高校2年生からは、第2外国語の授業が選択可能でした。
これも母校の特色です。ドイツ語か韓国語が選択できました。
でも、ドイツ語の授業とは言いつつも、完全初学者用の授業です。
それでもこれを期に再びドイツ語に本腰を入れるようになります。
英語の授業で使う単語帳を独訳して使ったり色々してました。(懐かしい)
なっしゅ、ついにドイツへ行く

その年の夏、次の交換ステイプログラムに参加しました。ドイツの姉妹校へのステイです。
2回も交換プログラムに参加するなんてなかなか恵まれていました。
目的地はドイツ、ミュンヘン。
これが私にとって人生2回目の海外であり、最初のドイツでした。
そして、今も住んでいるミュンヘンとの最初の出会いです。
このときの最も感じたのが、アメリカとの違い。
日本との違いはすでにアメリカ行ったときに感じていたので、比較対象がアメリカになっていました。
個人的には、アメリカよりも歴史もあり、きれいで住みやすいイメージでした。(第一印象)
環境学習を期に始めたドイツ語。その時にネットで見て感心したボトルの色ごとに違うゴミ箱。
夏のドイツのあの気候。大学の荘厳な建物。ビール…(ドイツは16歳からビールおっけー笑)
そしてなにより、”英語ではない国”というのがものすごく新鮮で、心動かされました。
人と違うことをするのが好きと気づいたのもこの頃です。
英語はみんなやっていて、みんな英語圏に行く。だったらそうじゃない道を選ぶ。これが生きがい。笑
今でも自分なりの道を好きなように歩んでいます。Es geht, wie es geht. ”なるようになるさ!”
縁あって始めたドイツ語を極めれば、この街に進学し住めるのではないか。
その考えから抜け出せなくなり、ここからドイツ語一色に染まっていきます。
(さよなら英語。ありがとう。笑)
こうして、ドイツへ行くことだけが目標の危ない進路計画が実行されるのです…
To be continued…
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